創造的な訓練
Filed under: 武術 on 3 月 31st, 2007 | Comments Off
基礎、基盤の大切さはもう言うまでもない。今 やっている基本動作を反復することによりその外側のフレームが内側で形成されてくるように身体を練り上げていくことが必要である。こういったプロセスの積み重ねで教えてもらっている受動的なものを意かに能動的な稽古に変えていくことが自得に繫がると思う。先は長く 深いものゆえ先人の智慧を受け継ぐ創造的な訓練を実践していく意味がここにあると思います。
Filed under: 武術 on 3 月 31st, 2007 | Comments Off
基礎、基盤の大切さはもう言うまでもない。今 やっている基本動作を反復することによりその外側のフレームが内側で形成されてくるように身体を練り上げていくことが必要である。こういったプロセスの積み重ねで教えてもらっている受動的なものを意かに能動的な稽古に変えていくことが自得に繫がると思う。先は長く 深いものゆえ先人の智慧を受け継ぐ創造的な訓練を実践していく意味がここにあると思います。
Filed under: 武術 on 3 月 29th, 2007 | Comments Off
習い事でもそうだが、物事の全体性を理解し体で分かるにはそう容易いことではない。ある部分が理解できてもその部位は全体のどこに位置し、尚且つ
単なるイメージや想像ではなく確実に繋がりあうように整えていくことの大切さはやればやるほど気づかされていく。簡単に無駄を省く、そぎ落とすと言っても全体の意識付けがしっかりできてないと本質的な訓練にはならない厳しさがある・・・・と今も自分に言い聞かせてる今日この頃です。
Filed under: 生活 on 3 月 27th, 2007 | Comments Off
昨年の秋が深まった頃に
ふと山に登りたくなり、奈良の大峯(山上ガ岳)に登ってきました。
ここは古くから修験の山で 日本の霊峰の一つらしいです。
日本古来より先人が山岳修行をした霊山だけあって
今でも女人結界門から先は女性が立ち入ることが出来ない
信仰の深い山です。
ここは大峯大橋の女人結界門の前の写真です。
魂が震えるような厳粛な所で、まるで気安く人が立ち入る事を拒んでいるようでした。
なぜ人は山を求めるのでしょう。
山は天と地の間に存在し、天と地を繋ぐようにも見えます。
そこは、人の想像力の限界を超え
自己の体内に宿っている魂が自然と向き合うからでしょうか・・・
Filed under: 武術 on 3 月 25th, 2007 | Comments Off
”簡単なことができない・・”よくよく考えればそんなに難しいことでもないはずなのに。しかし身体が思うような動きができない・・・・(苦)
そんな事がよくある。身体の使い方の問題という事だけだろうか?
考えすぎだよ・・・・
意識しすぎだよ・・・・
動作に捉われすぎだよ・・・・などなど・・・・
自然にそのようになっていないと意味がない。
身体は正直だね・・・・頭の問題か・・・^^;
Filed under: 武術 on 3 月 24th, 2007 | Comments Off
『あなたは今やっている訓練システムや練習、稽古は正しいと思いますか?』と、唐突に質問されたら”正しい”・・という表現に多少違和感を感じつつも自分がやっている、またはやってきた練習 訓練は間違いないと心底言える人は果たして全体の何%いるでしょうか??正しいってなに??先生にこう教わっているから、やっている流派がこういう稽古だから・・こんな声も聞こえてくるでしょう・・
じゃ、正しくない訓練って・・・・一例を挙げるなら正しいのはしっかり訓練要訣を守ってやること・・正しくないのはなんとなく運動量をこなしただ動いてるだけ・・・などなど・・・私も今まで後者だったかもしれません。したがってこの質問はいろいろな捉え方ができ考え出したらきりがないような・・・。
Filed under: 武術 on 3 月 22nd, 2007 | Comments Off
”用意不用力!中国武術でよく用いられる言葉である。なにも中国武術だけではなく武術である以上当たり前である。しかしこれがまず 全体的にしっかりとした身体要求を守りながら訓練することは簡単なことではない。それなりに感覚的に考えながらやったとしても時間とともに形づくられた考え方や体の動かし方、力の使う習慣など肉体は直ぐに書き換えることは
できない。ある意味変な癖と言う言い方もできるし、認識してることの思い違いなのかもしれない・・・とも取れる。
何故 姿勢や動作をしっかり身につけるという『意識の転換』こそ訓練の要諦であると思う。