セミナーで感じる事

EU,そして日本 ちょっとしたセミナーをやるにあたっていろいろ勉強になります。
その事で一言、二言、、、

国や人種が違えども人間に教えています。
文化や慣習は違いますが、身体を使うという事は皆一緒です。

問題は使い方ではありません。
捉え方と認識です。

この事柄は、その国ごとの言葉で説明して、頭で意味を理解するという過程も必要だと感じますが、ほとんどの人達が身体を通じて感覚の違いを捉え、認識していく事が上達には不可欠であると言う事です。

”百聞は一見に如かず”
説明を聞くより,目で見、なおかつ身体で認識するということ
これが錬功の基本です。
技をかけたり、殴り蹴る事は錬功とは言いません。

故に、錬功は知恵と工夫です。これでいいなどありません。

セミナーではこの錬功がどのように自由な動きに作用できるか、または関連づいているかを実際に対人で示します。

これは端から見ればテクニック的に見えますが、訓練や錬功の延長線にある動きとも
言う事が出来ます。

また、そのようでなければ意味をなさないとも言えなくもありません。

セミナーを通じて、何を学ぶかは実はこの連結が重要になってきます。

これは人種や国が違うから、またはスタイル 流派は関係ありません。
なぜかというと人間だからです。(簡単に言えば)

それゆえ言葉が違う アメリカでもEUでも個々の解釈が重要であると感じております。

身体の調整とメンテナンス

身体の調整。

実に深く アイデアがある限り繊細な調整は永遠に続く。
やっかいなのは激しさと柔らかさが背反的に共存している事。二律背反的な。
登る頂は一緒でも自然界の変化によっては天と地の差がある 登山みたいな。

メンテナンス

これまた維持するにはかかせないものです。
が、生活そのものに入れないと成り立ちません。(最近馬鹿ばっかりで自爆ばかり::)
あちこちがいたって故障中@@

調整とメンテナンス、、まさに車ですね。

さまざまな個性

武道、武術のクラスに癒し系??生徒とは、、
ガツガツ、ピリピリ的な生徒が大半みたいな道場やクラスは今時はそうたくさんはないでしょう 。
所謂、いいキャラみたいな生徒はどこにでも一人はいるもんです。
そんな生徒ですね。
一言言えば不器用、なかなか理解できない、定まらない、、、と言ったところですかね。
そんな生徒もこつこつ稽古してきて身体がかなり強くなりました。

そんな矢先に他県に引っ越すという事で明日が最後の練習になるようです。
聞けば,将来農家をやるため田舎に移り住むと言う事、若いときからの夢だそうです。(まだ29歳なのに、、、)
そんな生徒も稽古後の団欒ではなかなかいい感じのボケ&突っこみが出来る器用な一面もあり、
いいキャラの生徒が離れる残念な気持ちもありますが応援してあげましょう。

最後は思い切って突っ込んどこうかな^^

田舎で、農業頑張って鍛錬して下さい。

鍛錬2

月刊秘伝から鍛錬特集のお話を頂き、時間が無い中 少しの想いを語らせて頂きましたが、じっくり想い巡らせば
とても一概には言えないところがたくさんあります。

一言に”鍛錬”と言っても根性で辛い肉体訓練のみ繰り返して行うのが鍛錬ではなく、 大局的に言えば『日常』その
ものを意味するところが大きいと感じるからです。

それは武術と言う枠に限らず、その人間がやる事ですから考え方や思想、または何をどう解釈するかによって個々の違いが出ると言う事です。

肉体を訓練する事はもちろんですが、頭も多いに使います。
自己満足に陥らない訓練は思いのほか難しく、常に客観的な立場で自己分析をかけ丁寧に身体の使い方を学習して行く事の意味を織り込みながら練習することを”鍛錬”と言っています。

何百回、何時間やったという時間的な意味合いではなく、考え 知恵や気づきを基に創意工夫して身体の中に形づけていく終わりのない作業みたいなものです。

また、その”理”みたいなものを示してくれた先生、師匠的な人の教えをしっかり自分で理解し向き合いながら
正確に身体に躾けていくことも重要な鍛錬と言えるでしょう。

このように言葉によってさまざまな解釈があり、また似たようなニュアンスで普段なにげに使っている言葉でも
あり、今回は敢えて練習と鍛錬の違いとは?みたいに掲載されていますが言葉意味は難しく、厳密に言えば道場や
クラスの練習と自主鍛錬は意味するところが違いますよ。という結論になっています。

まあ、かたっくるしく考えても所詮表現ですから;;;
自分でやっていくしか無いんですよ^^;

取材(秘伝)

8月のお盆前の一番暑い日が続いていた頃 雑誌『秘伝』の取材を受けました。
なんでもテーマが鍛錬(自己鍛錬)という企画でした。

午前中 編集の方と鍛錬とは?みたいな話しをさせていただき、午後は公園で写真撮影、、、
炎天下の撮影は凄まじく暑く厳しかったです。(これこそが我慢、、、いや(鍛錬)のような)

鍛錬の解釈は人それぞれ、本来自己研究こそ『秘伝』、、ではないでしょうか?、、、

文章や写真ではもちろんなかなか本質的な意味を伝える事は難しく、口伝って言ったって人それそれですから//

ある種、クラス等では何百回も秘伝?みたいなものを喋っていますけどね^^;

アメリカ人の生徒

阿吽会が発足して早7年ぐらい経つ。会が出来、半年ぐらい過ぎた頃に入会してきた生徒である。

今回、仕事の都合で約1年 NYの方に転勤するので最後の稽古のあと彼といろいろ話した。
実に有意義な時間でした。

実は彼から約1年は離れるので私と深い話しがしたいと。。。
まず、話しの内容は仲間の生徒の事。率直な意見、そして的確でもある彼の言葉には仲間想いな優しさも見え隠れしている。しかしここでは日本の本音と建前的な言い方はさすがアメリカ人、全くない。まさにyes or no、、

次の自分の駄目な部分も自己分析して話していた。私が思うなり自分でも認識していた部位の内容で彼の反省でも
あるようだ。
最後に私の事。
いいところとそうではないと思われるところ。実に面白い。

一般的には無礼講などという時以外は、指導している立場の人にはっきりもの申す的な意見はそう聞かれないだろう。
いい悪いをこえて実に面白かったし、ためになった。
その中に皆への想いや、ある意味の尊敬があり、私も多国籍が多いこの会はいろんな問題や波乱もあるが会を続けた結果が彼の言葉に集約されている感じがしてさらに精進していかねばと思いました。
もちろん日本人の会員もすばらしい人間性を持った生徒達が育ってきており、ある意味の文化交流の一端を担う会ならと思い、海外活動も行っています。

たいした人数はいない会だが,様々な人種や個性がここにはあり日々 各々努力している会として自分が先頭に

たってそれを表現していかなければならないと強く思うところです。

寅年にちなんで”画虎類狗”

武術に対して言えば、物の考え方や生き方にまで反映され、会や道場などで先人の形を模倣することではなく、
その心構えや意識を継ぎ、そういった諸々を自己の中に生かし学んで行くことで初めて自得できるのもである。

つまり、手本を真似るつもりでも似て非なる物にならないよう頭を使い、工夫して練習に取り組まなければならない。